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1049件の議事録が該当しました。

該当会議一覧(1会議3発言まで表示)

2021-05-13 第204回国会 参議院 財政金融委員会 第10号

その年、八九年の十二月には平成鬼平と言われた三重野総裁就任をされて、公定歩合は合計で一年間で三・五%引き上げられていくわけですよ。その結果がこれですよ。この谷底に突き落とされたような潜在成長率グラフになっております。  二ページ目の需給ギャップグラフも似たような展開になっていますね。

渡辺喜美

2021-03-16 第204回国会 参議院 財政金融委員会 第3号

その翌月ですよ、五月からとんとことんとこ、公定歩合と当時言いましたけれども、上がっていって、その年の十二月に三重野総裁就任をされて、何と二・五%であった公定歩合が六%になったんですよ。三・五%も、一年、たった一年ですよ、の間に上昇した。当時、三重野総裁平成鬼平と言われて、一般物価ではなくて資産価格に着目をして、バブル潰しを公然とおやりになった。その結果がこれですよ。

渡辺喜美

2019-11-07 第200回国会 参議院 財政金融委員会 第2号

その年の暮れには三重野総裁就任されて、資産価格が異常だからといって一般物価が上がっていないのに金融引締めをやってしまった。平成八年の増税のときには、私は一年生議員でしたけれども、膨大な不良債権がある、そういうことをさておいて、これまた増税やってしまった。まあ、それだけではなくて、特別減税廃止とか九兆円ぐらいの負担増をやった結果、これまた不良債権問題に火を付けてしまったというわけ。

渡辺喜美

2019-03-12 第198回国会 参議院 財政金融委員会 第2号

少なくとも初めての経験、一九三〇年代以来から初めての資産デフレーションによる不況というのを経験したんですが、やはり先ほど言われましたように、名前出た三重野さんにしても我々の方の政府にしても、このときの対応を間違えたんだというのはやっぱり率直に認めた上でないとこの三十年間の話の説明は付かないと思うんですね、私は。

麻生太郎

2019-03-12 第198回国会 参議院 財政金融委員会 第2号

その年、雨宮さんの大先輩の三重野総裁がなられて、いきなり金融引締めですよ。一般物価が上がっていないのに、資産価格バブルを潰すんだといって金融引締めをやらかしてくれた。まあ、そこから先は解説を要しない。  二回目の消費税増税は九七年。私が一年生議員のときでした。既に不良債権問題がかなりシビアな状況の中で二回目の引上げを行った。

渡辺喜美

2013-05-02 第183回国会 参議院 予算委員会公聴会 第1号

金融政策をこれに割り当てると、あの三重野総裁のときの過剰なバブル潰しのようなことになって、結局、資産市場以外のところももう焼け野原みたいになってしまうと。こういうことを二度と繰り返してはいけないと思いますので、資産市場に惑わされずにかつ適正な金融政策を行うためにはコアコアCPIということを強調しておきたいと思います。  以上です。

上念司

2013-04-02 第183回国会 衆議院 予算委員会 第18号

まず、過去の日銀政策失敗の数々、例えば、今を去ること二十年以上前でしょうか、日銀三重野総裁という方がおられた。平成鬼平などと言われて、バブル退治というのをやったんですよ。  当時、自民党の中でこんな例え話がありました。土地と株がインフレを起こしてバブルになったわけでありますが、例えてみれば、十五歳の少年がいた、身長百八十センチ、体重八十キロ。

渡辺喜美

2013-04-02 第183回国会 衆議院 予算委員会 第18号

ただ、三重野総裁時代金融引き締めにつきましては、その前のバブルが非常に大きく、八〇年代後半に膨れ上がったわけですが、その原因のかなりの部分が金融規制であるとか土地規制問題等にあったことは事実だと思いますが、他方で、八〇年代の後半の景気拡張期に、やや金融緩和が行き過ぎていたということもバブルに影響したということで、その後、まさにバブルを抑えるという過程で行き過ぎた金融引き締めが起こった。  

黒田東彦

2011-07-15 第177回国会 衆議院 財務金融委員会 第28号

例えば、一九九〇年代、バブルがはじけた後、結局、最初景気が回復しようとしても、当時の三重野さんが、バブルの再発を恐れて金融緩和をぐずぐずして、なかなかしない。九五年、六年に景気が回復してきたら、今度は消費税増税だと。今度は財政の引き締めをして景気の腰を折るということをやってきたわけです。  

野口旭

2009-04-13 第171回国会 参議院 決算委員会 第3号

ただ、このバブルというのは、しょせん人間の欲からできているものでして、あれが崩壊する過程で、三重野さんが金利を上げて崩壊するスピードが速過ぎたとか、あるいは橋本龍太郎さんが量的規制を掛けてそれがどうしたとかというんですけれども、しょせんはあのバブルというのは幻のものであって、いつかは崩壊過程をたどらざるを得なかったと思うんで、それを三重野さんのせいとか橋本龍太郎さんのせいにするのは多分違うんだろうと

与謝野馨

2008-03-25 第169回国会 衆議院 財務金融委員会 第11号

それで、元日銀総裁三重野氏は、九四年二月にこういう話をしております。当時の経済活動過熱全般について金融政策面からもう少し早くブレーキをかけることができたら、経済活動振幅はもう少し小さなものとなっていただろう、こういうふうに言っているわけです。  そこでお聞きしますけれども、バブル経済を発生させた要因として日銀の超低金利政策があった、そういう認識がおありかどうか。  

佐々木憲昭

2008-03-11 第169回国会 衆議院 議院運営委員会 第10号

そのことについて、元日銀総裁三重野氏は、金融政策面からもう少し早くブレーキをかけることができたら経済活動振幅はもう少し小さなものとなっていただろうというふうに振り返っているわけです。  そこで、お聞きしますけれども、一つは、バブル経済の背景に日銀の低金利政策があった、こういう認識がおありかどうか、これが一点。  

佐々木憲昭

2006-06-08 第164回国会 衆議院 決算行政監視委員会 第6号

日銀三重野総裁平成鬼平だとか言われて、総量規制をやったのは平成三年ですよ。だから、急にこの年になってバブル崩壊が始まったわけじゃないんですよ。そういうことを踏まえてお答えいただかなければいけないと思っております。  それから、副大臣からお答えいただきましたけれども、まあそういう要素があるだろうと思っております。

土屋正忠

2005-04-07 第162回国会 参議院 財政金融委員会 第9号

だけれども、八五年、一九八五年から、プラザ合意の後、バブルの、バブル景気というもの、これのところの日銀政策、そしてまたバブルが終わった後の急速な引締め、これは特に三重野総裁の私は責任というのは物すごくあるんじゃないかと、こう思っておりますが、その後、自民党を中心とする政権による、特に橋本内閣の大変な経済政策失敗で大変な金融危機にまで陥ってきたと。

広野ただし

2003-03-18 第156回国会 衆議院 財務金融委員会 第9号

山谷委員 森永総裁は開かれた日銀とおっしゃって、三重野総裁民間企業との接触の大切さをおっしゃって、また、日銀法が改正になりましたときは、日銀金融政策決定会合、私、随分議事録を取り寄せて読んでおりましたけれども、金融緩和主張とか、インフレ目標主張とか、外債購入主張とか、いろいろあって、採決も割れることが当たり前というような状況でございました。  

山谷えり子

2003-03-14 第156回国会 参議院 予算委員会 第11号

円より子君 ちょっと資産デフレについてお聞きしたいと思うんですが、卸売物価ですとか小売物価の伝統的な日銀政策幾ら効果があったとしても、日銀鬼平と言われた三重野総裁日本資産インフレ退治を言われて、それがいまだにこの傾向が私は続いているように思うんですけれども、そしてそのことが原因なのかどうか、土地、不動産のデフレの進行がいまだに緩和されておりません。  

円より子

2002-07-11 第154回国会 参議院 財政金融委員会 第24号

そこで、日銀総裁と、その後是非塩川大臣にもお伺いしたいんですが、三重野さんの時代も、当初は平成鬼平と言われて、大変バブル退治に御貢献されたという御評価だったわけですが、今日に至っては、その後半はややその対応が過剰過ぎたんではないかという御評価もあり、それが今日の冒頭御説明したFRBのレポートなんかにもなっているわけなんですが。  

大塚耕平

2001-06-21 第151回国会 参議院 文教科学委員会 第13号

本会議で社民党の三重野議員の質問に小泉総理がどう答えているか。体験学習は大事だと。私も小さいころ、小泉総理が言うのに、学校へ行って一生懸命勉強して、もううちへ帰ったらかばんをほうり投げて遊んだものだと。今はある面では恵まれていて、プールもあるからプールで泳ぐんだろうけれども、私は、横須賀ですか、海が近かったんでしょう、海で泳いだと。そして、トンボやセミをとりに歩いたと。

輿石東